パンフレット

 少し時間が経ってしまい恐縮ですが、令和5年4月15日(土)、16日(日)と生まれて初めて佐久市強歩大会に参加致しました。 今回で第54回となる大会ですが、コロナ禍でここ最近は中止となっており、3年振りの開催でした。この大会は山梨県韮崎市韮崎小学校を15日(土)21:00に出発し、78km離れた長野県佐久市総合体育館に翌16日(日)15:00迄(18時間以内)に徒歩で夜通し歩き続ける、大変に過酷な大会となっております。

主催者が推奨するウェア

 何故自分がこの大会に参加する事になったのか?
それは弊社の所属する長野県倫理法人会で、後継者としての力量や精神力を向上させる後継者倫理塾(第18期)で塾生をサポートする運営委員を自分が担当しており、現役塾生だけでなく、運営委員も参加する様に要請されたからです。自分が塾生(第12期)であった9年前にはこの過酷なプログラムが無く、修了して運営委員になった時には日程が合わずに不参加で今まで来ておりました。

後継者倫理関係者で韮崎市に出発前に撮影した集合写真(皆まだまだ元気(!?)な表情です)

当日は雨の降るあいにくのコンディションの中、雨カッパを着て、ひたすら野辺山高原まで標高差1000mを登り切りました。(この時点で翌朝4時。)

スタートの様子(動画) (出場できなかった塾生が撮影した動画を借用)


 ここまでを詳細に説明しますと、最初のチェックポイントの北杜市保健センター(スタート後16km地点)までは、ポールを使えずマスク着用との事で、ただ黙々と歩いておりました。(因みにここまでで女性の塾生2名共リタイア!)。北杜市保健センター(AM0時頃)で最初の休憩を取って、塾のサポート隊からバナナを頂き、ここからポールを使ってひたすら登る、登る、登る!
野辺山高原までの4時間のうち高原直前の1時間以上はペースメーカーとなる一般参加者を見つけてその後ろにひたすら付いていき、何とか登り切る事が出来ました。

出発前の雨カッパを来ている様子

野辺山高原のチェックポイント(スタートから34km地点)で主催者の用意してくれた温かい紅茶を頂き、焚き火に当たって暖を取り、AM4:20過ぎに再出発。雨は大分上がって来ている状況でしたが、前の週のウォーキングの練習時に出来ていたマメが両足に出来て大きくなっている事を薄々感じておりました。
 

野辺山チェックポイントでの焚き火の様子(仲間の写真を借用)

 実は日付が変わった16日は私の57歳の誕生日で、何故誕生日にこんな過酷なウォーキングをしているのだろうと考えておりました。ところが、 この大会に出場できるのは丈夫な体に産んで育てて頂いた両親のお陰とふと 思い至りました。特に自分は逆子で生まれて首が曲がっており、生まれてから2年近くほぼ毎日母親が片道30キロを電車で専門の病院まで通ってマッサージを受けさせてくれていた事を思い出したら、歩きながら 涙がとめどなく溢れ出て来ました。 これまで支えてくれた両親に感謝の思いを抱き、それから、家族(家内・子ども達)、親戚、後継者倫理塾関係者、社員、倫理法人会や商工会議所青年部・中小企業家同友会などの単会・団体の仲間、以前の会社の同僚、小・中・高校・大学での恩師・友人などこれまでに出会った(名前を憶えて)いる人全員の名前を出して、その後に「ありがとうございます」と口にしながらひたすら歩き続けました。(傍から見たら「○○さん、ありがとうございます。」と連呼している”危ない”人ですね!? )

夜明け頃(仲間の写真を借用)

野辺山高原を出る境界辺りで塾のサポート隊よりバナナを頂き、再出発。杣添橋(ゴールまで33km地点)チェックポイントを通過。(後にここで塾生一人と運営委員一人がリタイア)その先のトイレ休憩時に雨カッパとザックカバーを外して歩き始めたのですが、しばらく歩いたら虹も見えて、ああもう雨は完全に上がったなと思っておりました。ところが急に黒い雲に覆われてにわか雨が降りだし、その雨雲の移動方向に自分も歩いていくので、20分近く雨カッパのない格好で雨に当たられ、ビショビショの状況で南牧村役場のエイドポイント(残り30km地点)で休憩を取りました。ここでもバナナを2本頂きながら、赤外線ヒーターの真ん前で暖を取り、出発。両足裏のマメは相当に大きくなっている様でとても痛いのですが、マメが出来る事は想定内であったので、これは我慢我慢と精神力で克服と思って歩き続けました。
 因みに過去に出場した仲間の方から、痛み止めとこむら返り防止薬を用意した方が良い事を聞いており、自分も大会中約2時間ごとにこの2種類の薬を服用しました。

虹も出て晴れていくかと思いきや、にわか雨が・・・(仲間の写真を借用)

 ドライブイン松原湖チェックポイントの手前1キロ位の地点で、係員の誘導で道路を渡る際に歩道の段差を踵から降りた際に左踵に電流が走ったような感覚が起き、左足を地面につける毎にその電流が走った状況が続いていて、「これはやばい!」と正直感じておりました。松原湖のチェックポイント(残り25キロ)に塾のサポート隊が待機してくれていて、ここからは山本塾長も合流され、両ふくらはぎのマッサージをして頂きました。このマッサージを受けて、左足踵の電流が走る症状が治って、山本塾長には本当に感謝しております。
 この後、佐久市在住で一般参加している、同期で後継者倫理塾を修了した永井さんが肉離れでびっこを引いているところを追い付き、追い抜きがてら「痛み止め有るけど使うか」訊いたところ欲しいという事で、立ち止まってウェストポーチから痛み止め3回分を取り出して手渡しました。

ドライブイン松原湖のチェックポイントで塾サポート隊と撮影

 小海町役場のチェックポイント(残り21キロ)の手前辺りから、左膝関節の外側も痛くなり出し、一気にペースダウン。痛み止めを飲んで、ポールを出すペースで心の中で「感謝、感謝、感謝、感謝」と言い続けながら、ひたすら歩き続けました。小海町役場のエイドポイントで飴と温かい麦茶を頂き、出発。先ほどの永井さんが痛み止めを飲んで復活し、この辺りで抜かれてしまいました。
 更に左足付け根も痛くなり出し、痛みに負けそうになった時にこれまたふと次女が痛みに強い事を思い起こしました。次女は1歳の時(22年前)の急性硬膜下出血で緊急開頭手術を行い、その後遺症で難治性癲癇と重度の知的障がいがありますが、痛みに対して大変に我慢強く、その我慢している姿が健気で涙を誘う程なのです。自分も「 次女の痛みに比べたらこんな程度で音を上げていられない !」と思うと少し痛みが和らいだ様に感じました。
 残り15キロ地点のJA佐久浅間佐久穂支所八千穂店のチェックポイントに塾サポート隊が待っていて下さり、再び山本塾長の両足ふくらはぎへのマッサージを受けながら最後のバナナを頂き、 出発。(後にこのチェックポイントで更に運営委員が一人リタイア。)
 

胸に付けていたゼッケン。雨と汗で色褪せてしまっています。

ところが、ラスト10キロ地点でお腹が空いてしまって、シャリバテ気味に!背負っているリュックに一応入れてあった鯖味噌煮缶を開けて食べて、シャリバテは解消!左足付け根の痛みの原因になっていたかもしれないウェストポーチをリュックに収納して、最後の痛み止めを飲んで出発。ところが、痛み止めを服用し過ぎたせいか、疲れがピークなのか痛み止めが効きません。心の中で「感謝、感謝」とひたすら繰り返し、痛みに対しては次女の頑張りを思い浮かべながら耐え、ここを乗り切る事が私自身の未来を切り拓いていく事につながると信じ、ひたすら、ひたすら、ひたすら歩き続けました。佐久市内に入ってから、ゴールの総合体育館まで最短ルートではなく、遠回りをさせられている事に理不尽を感じながら、あともう少し、もう少しと耐え続けました。ゴール直前の幹線道路を横切る横断地下道の登りの階段が痛い脚に辛い事、辛い事! 本当に気力を振り絞ってのゴールとなりました。

ゴールした瞬間を仲間に撮影して頂きました

 自分は13時51分27秒にゴールでき、塾関係者では5回出場全回踏破の市川県連会長の次にゴール致しました。
 ここから、15分ほどマイカーで靴を履き替えがてら仮眠(携帯が鳴らなかったらもっと寝ていました・・・!?)を取って、それからリミットの15時迄ゴールする人達をゴール横で拍手で出迎え続けました。
 後に知った事なのですが、塾生の一人が残り13キロ地点でどうにも膝関節が痛くなって歩けなくなってしまい、泣く泣くリタイアしたとの事でした。本当に勿体ない!  塾関係者は14人エントリーして、踏破できたのは8人。(内現役塾生は9人中5人。)今までで一番高い踏破率だそうです。後日全参加者の踏破率が73.8%(前回が80%)と知り、悪天候が踏破率を下げた事を推測致しました。塾関係者は一般の踏破率より悪かったのですが、各々がこれからの苦難に対して耐えられる精神力をより一層付けられた様に思います。

ゴール後の踏破証と撮って貰いました

 塾関係の参加者をサポート頂いた山本塾長、県連細江幹事長、伊南倫理法人会の唐木幹事の3名の方にも心より感謝申し上げます。(リタイアした後にサポートに回ってくれた2名の女性塾生にも!)
 自分は大会後直ぐに母親に電話をして、ここまで無事に育てて頂いた事、誕生日にこの過酷な大会に参加して無事に踏破できた事のお礼を伝えました 。
 今回の強歩大会に参加して学んだ事、それは『感謝の(プラスの)思いは大きな推進力になる!!」という事です。これからも周囲に感謝しながら生きていける人間でありたいと深く心に刻む事が出来ました。

ゴール後直ぐに発行して頂いた踏破証

 因みに塾関係者は、この後佐久市内のホテルに宿泊して、ホテル1階の居酒屋で懇親会を行いましたが、私は最後にはスリープダウンしておりました。この疲れが完全に抜けるまで数日を要し、こういった事にも歳を感じた次第です。(!?)
大会終了後4日ほどはマメの痛みでヒョコヒョコ歩きしかできず、2週間近く経た今でも両足裏にはマメだらけで完治しておりません・・・(涙)

市川県連会長の万歩計です。(初日(15日)分はカウントされていないと思います)